第1章 光る丘の風景

      


 宇宙全体が、地球というひとつの惑星にエネルギーを与えていました。
 地球という小さな惑星も、宇宙全体に波動を伝えていました。


 宇宙の中で生きている、地球の中で学んでいる、ひとつの“心の声”は思いました。
 宇宙が与えてくれているエネルギーって何だろう?波動って何だろう?と・・・


 太陽が、地球の大陸のある小高い丘にも、光を与えていました。
 目にまぶしい光と、目に見えない光を・・・


 この丘の頂には、外観がピラミッドのようなかたちをした大きな建物が建っていました。建物の柱には、樹齢何千年もあるかような大木が使われ、その柱の間の三角形の四つの壁面は、変色するガラスのような特殊な板で造られていました。

 ピラミッド型の建物は、昼間でも夜でも、いつも光っていました。

 壁の光は、太陽光線や温度や湿度、そして回りの微妙な空気や周波数の変化で、さまざまな色に変わっていました。この光、建物はまぶしく見えるというのではなく・・・
 何と表現したらよいでしょう・・・?

 まるで、一瞬一瞬変化する単色のオーロラのように輝くピラミッド≠フようでした。


光るピラミッド≠ヘ、丘の下のほうから見たときも、数キロはなれたビルの屋上から眺めたときも、とても幻想的≠ネ輝きをしていました。

 雲ひとつない日中、建物の上にちょうど陽が昇ると、白やレモン色のまっすぐな光の線ができ、ピラミッドはボ〜ッというか、ほわほわっと透明感のある白や、オレンジ色に輝きました。螢光とうを直接見たときのようなまぶしい#窒ナはなく、まわりの景色もつつみこんでしまうようなあたたかい♀エじの色でした。

 鳥や木々が眠る真夜中、月の光に照らされたピラミッドは、青と紫色をまぜたような深みのあるブルーに輝き、そしてその光がまた、まわりの草花についている露をやさしく照らしていました。


 ひとつの心の声≠ヘ思いました。

光るピラミッド≠ヘ、朝はやく見ても、真夜中に見ても、いつも吸いこまれるようなあたたかい光を放っているなあ──と。

 けれども、このあたたかい光≠ヘ、ピラミッドの壁からでているのではなく、ほんとうは、建物の中から伝わってきているものだったということが、しばらくしてからわかりました。


 地球の大陸の中で、たくさんの人たちが集まる観光スポットのような場所がいくつかありますが、その中でも光るピラミッド≠ェあるこの小高い丘は、五本の指に入るのではないかと思われるくらい大勢の人たちが、毎日毎日、訪れていました。

 来る人たちもさまざまで、ベビーカーに乗った赤ちゃんもいれば、百歳ぐらい高齢のおじいさんやおばあさんもいるし、車椅子の人もいれば、病院から外出してきた人たちもいました。それから丘の下のほうには、まわりの森から野生のリスたちも、遊びに来ていました。

 この丘が、たくさんの人たちが訪れる人気の場所になった大きな理由は、やはり光るピラミッド≠フ魅力のようでした。中に入っていった人たちの多くは、なぜか出てくると、その表情は変わっていました。子どもたちのほとんどは何か遊んできたような、楽しんできたような瞳を輝かせた表情をして出てきていましたが、大人≠ニ呼ばれる人たちはさまざまでした。

 何を、そんなに怒っているの?と聞きたくなるような表情で、建物へ入っていったおじさんが、しばらくして笑顔で出てくることもありました。

 大声でしゃべりながら入っていったおばさんたちが、出てきたときには目を赤くしていたり、涙を流していることもよくありました。

 また、なぜか自分自身を反省しながら出てくる大人≠烽「ました。

 けれども、大人と呼ばれる人たちの多くはみんな共通して、光るピラミッド≠ノ入るときよりも出てきたときの方が、どことなくやわらかな雰囲気になっていて、おだやかな顔の表情をしていました。


 丘の上のこの光る三角形の建物は、魅力的でしたが、そのまわりの風景も人気の一つでした。

光るピラミッド≠フすぐまわりには、ちょうど円状に真っ白な砂が敷きつめられていました。南国かどこかの海の砂のようで、よく見るといろいろな形の小さな貝殻が混じっていました。おだやかな海の水面に太陽の光がさすと、わずかな波と風に揺れるきらめく光の帯ができますが、ちょうどあの輝きのように、小高い丘に日が昇ると、ピラミッドといっしょに白い砂も、キラキラと自然の光を放っていました。 丘の頂の中心にある光る建物ときらめく白い砂のまわりには、辺り一面いっぱいに花が咲いていました。

 ちょうど光るピラミッド≠かこむようにして、レンガ造りの六角形の花だんになっていました。ゆるやかな丘の斜面の下のほうまで花だんは広がっていて、かぞえてみると、全部で十一段ありました。

 まだ丘の上半分ぐらいまでしか、花は植わってないのですが、それでも、もうすでに何万本もの花が、土をうるおしていました。コスモスやマーガレット、なのはなやラベンダー、すみれやポピー、フリージア、ききょう、チューリップ、セントポーリア・・・などなど種類もかぞえきれないほど咲いていました。




 何万本もの花は、ただ″轤「ていました

 何万本もの花は、陽の光に向かって咲いていました。

 何万本もの花は、晴れの日も雨の日も風の日も咲いていました。

 何万本もの花の中には、何十種類もの色やかたちの花が咲いていました。

 いろいろな種類の何万本もの花は、ただ″轤「ていました。

 いろいろな種類の何万本もの花のそれぞれが、いろいろな表情をしていました。

 いろいろな種類の何万本もの花は、ぶつかりあうことなく、
 枯らしあうことなく咲いていました。

 何万本もの花は、ただ″轤「ていました。

 何万本もの花の一本一本が、それぞれ精いっぱい生きていました。

 何万本もの花は、空の光に向かって咲いていました。

 何万本もの花の一本一本が、それぞれ自分の色で輝いていました・・・




 ひとつの心の声≠ヘ思いました。

 何万本もの花の一本一本それぞれが、きれいだなあ──と。

 さらに心の声≠ヘ思いました。

 何万本もの花の中の一○本をまとめて見ても、一○○本を見ても、一○○○本ぐらいを見つめても、すべてを眺めても、美しいなあ──と。



 動物と人間が、おたがいに愛情をもったり、気もちや意志のコミュニケーションをとるように、花などの植物と人間も、少しずつわかり合えるようになってきていました。といっても、人が声をかけると花びらがしゃべったり、茎や根っこが動いて文字を書きだすというわけではありません。ただ、花にも人間と同じように、感情のようなものがあるということは確かなようでした。

 ゆるやかな小高い丘一面に造られた花だんのいたるところに、見た目レンガとそっくりなかたちでできたスピーカーが組みこまれていました。

 このスピーカーからは、よく日中に、音楽が流れていました。

 ここから流れるいろいろな曲は、花だんに咲いている花や植物によかったら、聴いてもらう≠スめのものでした。人が立ち止まって耳をすまして、やっと聴こえるぐらいの小さな音で、メロディーは毎日のように流れていました。

 花が音楽を聴くわけがない──と思う人もいるかと思いますが、二十世紀の時代から植物の研究者や理学博士たちは、植物の感情や知能について、たくさんの実験を続けてきました。

 サボテンに話しかけて、サボテンからでている周波数の変化を調べてみたり、二本の同じ種類のバラの一本をかわいがり、愛情をこめて育てて比べたり、クラシック音楽を聞かせながら育てたひまわりと、そうでないひまわりを比べたり・・・と。

 その実験の結果の多くは、人間が声をかけ、大事に愛情をこめて育てた植物は、明らかに長く元気に咲いているということでした。ふつうに育てるよりも、五倍も六倍も長く育った花もありました。何十倍もたくさんの実をつけた木もありました。

 また化学者の中には、植物を同じ研究者≠ニしている人もいました。この人は、感情や知能や意志のある植物といっしょに、自然や宇宙について研究していました。そして、この大切な研究者≠スちから、いろいろなことを教えてもらっていました。



 ひとつの心の声≠ヘ思いました。

 信じるとか、信じないとか、
 化学的とか、そうでないとかいうよりも、
 花は、いつも素直にこたえてくれている──
 木々は、いつも正直に教えてくれている──
 そしてどの植物も、こころ開いてくれている・・・と。



 六角形のレンガづくりの花だんには、スピーカーが組みこまれているだけでなく、花や植物たちの感情≠竍意志≠感じとるためのセンサーも取りつけられていました。

 このセンサーは、人間が植物に質問したときに気もち≠こたえてもらうための言葉であり、植物から人間へ意志≠伝えるための文字でもありました。

 センサーのむずかしい構造はよくわかりませんが、何だか人間が感情によって、いろいろな周波数を出すのと同じように、植物たちもそれぞれ微弱な波動を出していて、環境によって変わるその波動の変化をキャッチするというものでした。

 そして、このバイオセンサーを通して、人間と花や植物たちは、おたがいの思いを伝えあい、コミュニケーションをとっていました。

 レンガづくりの花だんに咲く花たちは、朝日がでる早朝は、スピーカーから流れる音楽はあまり好まないようでした。一日がはじまる朝は、風の音や、まわりの森から飛んでくる鳥たちの歌声を聴いているようでした。

 けれど太陽が照りつける日中は、訪れるたくさんの人びとの会話や、子どもたちのはしゃぎながら遊んでいる声といっしょに、音楽を聴きたがる花や植物がたくさんいました。

 レンガ型のスピーカーから流れる曲への花や植物たちからのリクエスト≠ヘ、バッハやモーツァルトなどのクラシック音楽や、いろいろな人種の民族音楽などが人気でした。また時には、ジャズやポップスやダンスミュージックなどが流れることもありました。

 花びらや葉っぱは、まだみずみずしいのに茎に元気がなく、倒れかかっていた花も、音楽を聴いて回復することもよくありました。


 ひとつの心の声≠ヘ、そんな光景を見てみたいと思いました。
 それに花や植物たちと、話しもしてみたいと思いました。
 いろいろなことが語りあえたら、どんなにたのしいだろうかと思いました。
 ひとつの心の声≠ヘ、想像しているだけで、何だかワクワクしてきてしまいました。


 小高い丘の光るピラミッド≠ニ白い砂、花だんの花や木々、そこに遊びに来る鳥や虫たち、そして音楽──すべてが、とけあい調和しているようでした。

 また、そこで働く人たちや、訪れる人たちも、何かこころにあたたかいもの≠感じずにはいられませんでした・・・。



       

 第2   ⇒ ■ エリジオンの光MAINへ